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キリストにある愛する兄弟姉妹へ:
神からの恵みと平和がありますように。
By the grace of God, the 24-hour-television Christopher Sun Evangelistic Association website of http://www.csea.tv has launched in August, 2021. Since 2013 Christopher Sun Evangelistic Association had purchased the television website of http://www.csea.tv , we finally solved the technical difficulties to publish the CSEA videos by the grace of God. The CSEA Videos currently contain English, Chinese, Taiwanese, Cantonese, Japanese, Korean, Bahasa languages, and we plan to upload more languages by the grace of God.
By the grace of God, 2021 is also the 37th anniversary since our ministry has registered as a non-profit Christian organization in California. Thanks be to our God! Thank you for your prayers and supports. May God continue to strengthen us working together to preach the Gospel to the ends of the earth!
「新型コロナウイルス」の発生は氷山の一角であり、人類が神の創造の原理に違反した結果が引き起こした問題を示しています。神がアダムを創造された時、神の原則により地を治めるための権威を授け、神は人に最大の命令を与えられました。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:5)。それにもかかわらず、アダムとエバは神に目を留めず、サタンの偽りに従い、「善悪の知識の木」の禁断の果実を食べようと自分たちの欲求だけを見て、その結果、この地に死と罪をもたらしました。男は、自分の蒔いたものを刈り取るようになりました。戦争、飢饉、地震、疫病などは、神による調和のとれた創造の原理に違反した結果です。世の終わりの日々にもたらされる死と罪は、この地に大いなる闇と困難を引き起こすことになります。
イエス・キリストは言われました。「…そして、日と月と星には、前兆が現れ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み、人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失います。天の万象が揺り動かされるからです。そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。 これらのことが起こり始めたなら、からだをまっすぐにし、頭を上に上げなさい。贖いが近づいたのです。」(ルカ21:25-28)
人類の唯一の希望は、十字架の贖いの力です。十字架上で流されたイエス・キリストの尊い血潮は、私たちの心からの真実の信仰によってのみ、適切に受けとめさせていただくことができるのです。この信仰こそが、私たちを罪の赦しと、罪からの救いへと導き、神に創造されたものとしての人生の目的を理解させるものなのです。私たちがただ心から神を愛し、神に近づき、神を求め、神を見上げ、神に拠り頼むことで、神によって私たちの心に与えられる天からのいのちと光により、終わりの日の死と闇を克服することができるのです。なぜなら、イエス・キリストの尊い血潮は私たちを贖うだけでなく、さらに最も重要なこととして、私たちを神の子とする「新しい創造」へと変えて行くのです。聖書は、次のように約束しています。「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」 (ヨハネ1:12)。
私たちに「神の子」としての権威があることにより、「いのち」は死を克服し、「光」は闇に打ち勝ち、「真実」は偽りを打ち負かし、「信仰」は恐怖を乗り越え、「善」は悪に勝利するのです。サタンが人類の悪と完全に結びついて、地上に深い闇がもたらされる時は、それは同時に、神の民が神の栄光に輝き、イエス・キリストの再臨への道を備えるために立ち上がる時でもあるのです!
苦難の時代には、私たちは、見張りを怠らず、警鐘を鳴らし、祈らなければなりません。
第一に、私たちは神を求め、イエスの御声と御言葉を聞かなくてはなりません!
終わりの日には、多くの声が響き、様々なメッセージが発せられますが、「いのちそのもの」であるお方につながる「道」は、ただ1つだけです。イエスだけが、次のように言われました。「…わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。…」(ヨハネ14:6-7)。終わりの日を生きるクリスチャンでありながら、イエス・キリストの御声と御言葉を知ることがなければ、悪魔の罠にはまってしまうのです。イエスは言われました。「彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。」(ヨハネ10:4)。私たちは、イエスの御声を他の様々な声から聞き分けなければなりません。そうすれば、イエスに従うことができます。イエス・キリストを十分に理解することは、私たちにとって非常に重要なことです。そうすることで、真に神のみこころを行うことができるようなるのです。
イエスは、私たちに警告されました:「…人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。…また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。」(マタイ24:4、5、11)。イエス・キリストの御声と他の声を、私たちはどのようにして区別すれば良いのでしょう? そのためには、聖書を熱心に読むことです! 朝目覚めたら聖書を読み、夜寝る前にも、たとえ数分でも聖書を注意深く読むことです。ぜひ1節1節、1章1章を丁寧に、マタイの福音書から始めて読み進めてください。イエスが悪魔に答えたように、聖書の「神の言葉」を心の糧として食べましょう。「…人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。…」 (マタイ4:4)。
イエス・キリストは、「ことばは人となった」(ヨハネ1:14)と語られたお方なので、イエス・キリストの御声と御言葉は、聖書の「神の言葉」と決して矛盾することはありません。どうすれば、イエス・キリストの御声をしっかりと受けとめ、理解することができるのでしょうか? それには、絶えず祈ることです。心からイエス・キリストに常に語りかけ、彼の御声と御言葉に親しみ、イエス・キリストとの緊密な関係を築きあげてください。神様に近づきましょう! 聖書は私たちに教えています:「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。」 (1テサロニケ5:16-21)。
第二に、私たちはもっと神を愛することを学ばなければなりません!
イエスが十字架にかかられる前夜、イエス・キリストは天の父に語りかけられました。「わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」(ヨハネ17:26)。神から来る愛は、すべての恐れを追い払うことができます!なぜなら、暗闇の時代には、ほとんどの人の愛が冷たくなるからです。イエス・キリストは、私たちに警告しておられます:「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。」 (マタイ24:12-13)。あなたは、神を愛していますか? あなたは本当にイエス・キリストを愛していますか? あなたが神を愛しているなら、あなたは私たちの救い主イエス・キリストの輝かしい出現を待ち望み、堪え忍ぶことができるのです! 困難と迫害の日々が到来する時、私たちの信仰を維持させる唯一のものは、私たちの「神への愛」なのです。多くの人の愛が冷め、多くの人が信仰を捨てる時でさえ、「神を愛する」人々は揺るがされず残るのです。
イエスは言われました、「そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。」 (マタイ24:9-10)。
サタンは常に真理を誤解させ、神の意志を行わないように、私たちを欺こうとします。だまされないための唯一の方法は、「神を愛する」ことです。神を愛することに集中し、ひとりひとりがイエス・キリストを見上げる時、私たちは、いのちの光の中を歩くことができるのです。イエス・キリストは言われました、「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」 (ヨハネ8:12)。
第三に、私たちは霊とまことによって神に礼拝を捧げなければなりません!
イエス・キリストは言われました、「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」 (ヨハネ4:23)。
真の礼拝を神に捧げる時、私たちはイエスに結び付けられ、神と一つにされるのです。そして、イエスの尊い血潮が私たちの傷を癒し、清めてくださるのです。真の礼拝は、私たちをイエスの内に留まるよう導きます。イエスは言われました、「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」 (ヨハネ15:7)。
第四に、私たちは継続的にイエス・キリストの内に留まらなくてはなりません!
審判の火が下る時、すべての間違った人間的な理論や哲学は無意味となり、すべての幻は消え失せ、主イエスの存在だけが真の現実となるのです。イエス・キリストは言われました、「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、みな根こそぎにされます。」 (マタイ15:13)。
私たちは日々、神の生ける言葉を心に受け入れ、常にイエス・キリストの内に留まらなければなりません。私たちがイエス・キリストと完全にひとつとなる時、私たちはイエスと同じように考えるようになるのです。したがって、私たちは日々私たちの十字架を取り、背負ってきたものをすべて十字架の前に下ろして、イエスに従って行くのです! 使徒パウロは、十字架の言葉は神の力である、と述べています。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」 (ガラテヤ人への手紙2:20)。私たちは、自分自身を神への生ける供え物として捧げなければなりません。そうすれば、心の一新によって造り変えられ、神の御心が何であるかをわきまえ知ることができるようになります。私たちが神の御心を行う時にだけ、私たちの働きは意味あるものとされ、神からの報いを受けることができるのです。
第五に、私たちはへりくだって神と共に歩まなければなりません!
聖書はこう宣言しています。「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ6:8)。神は、高ぶる者を退けられ、へりくだった心には恵みを与えられるのですから、私たちは神の力ある御手の下で身を低くし、自分を神に明け渡さなければなりません。そうすれば、神は私たちに知恵、能力、そして力を与え、どんな時も助けてくださるのです。
へりくだって神と共に歩む者だけが、神の御心、神の道、神の意志を知ることができ、聖霊によって物事を見極めることができ、決してサタンに騙されることはありません。へりくだって神と共に歩む人だけが、イエスに似た者とされ、イエスが勝利して父の右の王座に座したように、イエスと共に主の御座に座る権利を与えられるのです。
私たちの主イエスは、死からよみがえられました! イエスがよみがえられた時、彼は弟子たちにこう語りました。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:18-20)。そのような約束が与えられているのですから、しばらくの間、試練で悲しみ苦しむことがあったとしても、私たちは大いに喜ぶべきなのです!
私はもう一度申し上げます:神を求め、真に神を愛し、神に近づき、神にとどまり、神と共にへりくだって歩んでまいりましょう! これこそが、終わりの日を信仰と忍耐をもって歩む私たちに課された義務のすべてです。福音の奥義を恐れることなく語ることができるようにと、いつも私たちのためにお祈りくださり、ありがとうございます。神が、この困難とパンデミックの時に、あなたとあなたのご家族を守られますように! 神様があなたと共におられますように!
主の御言葉が、さらに多くの人々に力強く宣べ伝えられますように!
キリスト・イエスのしもべ、
クリストファー・サン 孫大程 敬具
主の年2021年8月
Glory to God in the highest | On earth peace to men on whom His favor rests |
Praise God, the invitation at Christopher Sun Mission | Praise God, the invitation at Christopher Sun Mission |
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